2011年の春
2011年05月12日
「3・11」あの日から2ヶ月が過ぎた。わが家で合宿生活をしていた疎開組も家族ごとにそれぞれの選択をされた。
疎開すること、
疎開しないこと、
疎開できないこと、
半分疎開すること、
なんぞの時の疎開先を心にもつこと、
どんな暮らしを選択するにせよ家族全員が右なら右を向いている家はしっかりと繋がり合っているように見える。でも、右だ、左だ、選択に違いがあるとどうやらたいへんなようで、話し合えば合うほどに、そのすり寄せが困難になる時もある。実際、そんな話を目の前で聞き、なんて言っていいか悩みもした。
で、考えてみた私の答え。
疎開をめぐって家族の意見が分かれたときは、
家の中で一番弱いものを守るということを尊重してみてはどうだろうか、と。
(ただし、疎開をすることが弱いものを守ることとは限らない。)
もう、ひと月も前に春はちゃんと訪れていた。
なのに、私の春の記憶は曖昧で、
悲しく、恐ろしいニュースが頭の中をいっぱいにした。
冬が寒く長すぎたからか、春を告げる花が一斉に咲いていた。
モクレン、桜、椿、すいせん、ユキヤナギ、ジンチョウゲ、柊にもみじ。
今、庭の主人公は鮮やかなツツジに艶やかな藤、そして山吹、そこにコウゾと葵がひっそりと小さく妙竹林な花を付けているのが微笑ましい。春を過ぎ暖かい日差しが多くなると木々や草はそれまでじっと地面に隠していた力を表に吹き出し、瞬きする間に世界を緑色に塗り替える。まるで、革命のように昨日と今日が換わるのだ。そして私は、と言えば、窓の向こうの新たな命を眺め、人の中にある生きる力もこんなふうにあってほしいと願うしかない。