夏の旅の話
2007年07月14日
7月に入り祗園囃子が聞こえ始めると夏の暑さも本格的。な、はず、なのに、、今年はどうしたことか肌寒い,その上台風が接近している。毎年ながらこの時期には町中が混雑,渋滞するので御池から(南には)下がらない様に心がけている。でも,今年は少し静かな宵山をむかえそうな気配がちらほら。
ちょうど祗園祭と同じ頃、高知県の赤岡町で行われる「絵金祭り」。粛々と雅やかに行われる都のお祭りとは反対で、小さな港町の商店街の軒先で何の飾り気もなく地元の方達だけで行われている。惜しげもなく広げられる絵師金蔵の襖絵の数々、学生時代に興味を持って研究対象にしたときの写真がたくさんあったので懐かしさ半分広げてみた。
左は米屋の軒先に置かれた「鈴ケ森」、右は車庫におかれた「播州皿屋敷」。共に絵金の代表作、生首がゴロゴロところがり血しぶき溢れる「鈴ケ森」。一つの画面に時間軸が交差する「播州皿屋敷」、それと同じ道ならびにあった「蘆屋道満大内鑑」は絵巻物のストーリー性や時間の流れを一双の襖に一気に描き切ったスピード感あふれる傑作。その数々がこんなに身近に、屋根もなく、ガラスもなく,警備もない、まさしく驚愕!
昼間の風景、商店街の軒先にいたって普通〜に広げられている。
夜は灯籠に火が入り絵の前にはろうそくが焚かれる。しかしろうそく近すぎ、燃えてもおかしくないくらいの距離においてある。
地元の町衆歌舞伎を眺めながら、たった今できたてほやほやの鰹のたたきとビールで一息。
商店街の横の川には屋形船と絵金灯籠が浮かぶ。
高知の景色はまるで外国の様、どこまでも海沿いにまっすぐ続く道、すくすくと大きく育ったシュロの木、南からふりそそぐ強い日差し。そして酒と魚の町。スーパーではクジラやマンボウの切り身が売られ、地元の寿司屋ではどろめ(生のイワシの稚魚)や太刀魚のさしみなど珍しい魚介が並ぶ、人々は酒豪で底抜けに明るくそしてとっても人なつっこい。
そんな高知の沖にも台風が迫った。昨夜テレビで見た荒波の様子、ちょうど絵金のことを考えていたのであの荒々しい血しぶきとクロスした。土佐の人々の情熱的な有様、毎年やってくる激しい台風の景色、そんな土壌が絵金という絵師をつくりあげたのだなあ、と、又、未だ変わらず行われる赤岡の絵金祭りの展示のおおらかさにも以前、大山崎山荘美術館で感じたジレンマを解消できるひとつのあり方だと思った。町衆が支えた作家を今もなお町衆が守っている。そうした「モノ」や「思い」が大きな力に回収されて消え行くことがない様に願いたい。