週末の小旅行〜山陽道〜
2008年03月06日
2泊3日できるならフライトチケットを手配してソウルや台湾に飛んでしまう。ここ最近は何の予定もなくゆっくりとすごすことに罪悪感やオブセッションを抱いてしまう。あまりのしごと人間ぶりを今年は脱却しよう!と、いうのが毎年の新年の目標だったりする。が、働き盛りはついついね〜
先週末は山陽道に1泊2日ででかけて参りました。池田亮司展が3月1日より山口県情報芸術センター(YCAM)で始まり、初日は亮司くんの新作のライブが国内初にお目見えということで(大阪、東京に巡回予定)これはぜひともYCAMで聴かねばと、、
京都駅の伊勢丹地下街、ひさご寿司で鯖寿司とのり巻きを購入。山口までの旅のお手伝いはひかりレイルスター。のぞみを使えば乗り換えなしだけど大阪初のひかりレイルスターの指定席は一列4席のゆったりグリーン仕様しかも普通車指定料金、ちょっとお得で快適。新山口からは在来線にゆられ湯田温泉駅で下車。ホテルにチェックインしてからYCAM到着。
展示は新作のインスタレーションが3点。1階の2点の展示は空間そのもののが歪んでしまうかのような視覚に関する、2階の展示は音という波に刺殺されかねない聴覚に関する、自分の脳の未知の部分をしわの間を開けさせられるかのような体験をする。しかしそれはほんの序章に過ぎずメインはやはりこの後のライブ。25分2セットのライブはまさしく圧巻、現在の技術で可能な限りに大容量かつ高速な映像にして可視の限界。そして可聴な限りの音域、それはものすごい重低音の後の小さなサイン波が見事に聞き取れるぐらい音圧がコントロールされている。音がまるでさらさらのパウダースノーのような細かな粒子で、体の上に、脳の中に降り注いでくる。その降り注ぐ感じが映像と見事にシンクロして自分の感覚や存在が消えそうになっていく。まるで降り止まぬ美しい雪にゆっくりと埋もれていくかのよう。これがほんとのホワイトアウト(?)
ちょっと話が戻りますが私がどうしてぜひYCAMだったのか? それはメディアアートを軸とするYCAMは設計、設立にあたりアーティストからの意見を多く取り入れていて、そのとき関わっていたのがダムタイプだったのです。ホールや音響設備にはもちろん亮司くんも意見している。大友良英さんがかつてYCAMに足を運んだおり自分が知りうるコンサートホールの中で(大友さんなのでクラッシックのホールは含まれないと思われますが)世界で3本の指に入ると言っておられました。亮司くんがどんなに凄い音を作り出しても彼の音にはそれを再現、再生できる音響設備がなければ本来彼の意図する事が聴き取ることはできないでしょう、科学技術が常に前進すると考えるならば彼の音もともにその時代にできうる最大限のかたちに進んでいくのでしょう。
アフターパーティーは地産地消がテーマ。裏山で捕れた猪や巨大川蟹に地元の野菜たち、あまりにお腹が空いて写真がこれしかない(泣)
翌日は山道をドライブし秋吉台国際芸術村へ、近くにはコンビニも喫茶店もない静かなところ。
昨日見た映像が超アナログで再現されている。木のレバーを回すと糸で吊られた小さな石がスクリーンセーバーの様に規則的に動き出す。同じ宇宙がモチーフでもこうも違うと面白い。南アフリカのジャスティン作。
山口帰りに広島で下車、広島市現代美術館シェルター×サバイバル展でヤノベさんのトラやん朗読会&ライブをのぞく。出展作家は会田誠、いちむらみさこ/小川てつオ、牛嶋均、小沢剛、ルーシー+ホルヘ・オルタ、坂口恭平、サンチョ・シルバ、鈴木明、椿昇、津村耕佑、坂茂、増岡巽、MINE、もとみやかをる、柳幸典、ヤノベケンジ、マイケル・ラコウィッツ。増岡さんはほんもののホームレスだそうで、企画や作家のそろえ方がユニークで見応えのある展示でした。
帰りの新幹線では京都よりも小さな都市の美術館がこんなに自由でのびのび面白い企画を立てているのに、なんでこれが京都でできないのかといつもながらに悔しく思う。行政にお金がないと言ってしまえばそれはどの地方都市でも同じ事。美術や音楽、文化の育成にお金をかければそれは観光産業への恩恵として帰ってくるのにね、それは歴史がちゃんと証明してるではないか、ね〜。