兵庫の旅 2
2016年07月02日
一乗寺に向かう頃にはすっかりお昼時で、車を走らせながら門前で蕎でも食べようなどと話していた。でも道はどんどんと山に向かい、最後にはS地カーブがくねくねと続きだす始末。心の中の淡い期待はみごとに打ち砕かれ不穏な空気が漂い始めた「やばい、」寺の駐車場に着く頃には「何にも無いとこに来たな〜」と。いやそもそも寺なんて修行の場だから何にも無いとこにあってこそ然る。京都の寺にすっかり慣れている自分が悪いのだ、と気を取り直し中に入る。
するとドーン!と天上まで続きそうな、まっすぐにのびる階段に「ひ〜」とちいさく叫び声。仏様は高いところがお好きなようです。私は高齢の母がいる事をダシに迂回路を歩いた。昨夜の雨が流れる小川の音、それ以外ほぼ貸し切りの静寂を楽しみ、のんびり歩いて三重塔にたどり着いた。平安末期に建てられ、こんなに背が高いのに一度も焼けずに残った幸運な建物。創建当時は緑深い山に朱塗りの鮮やかな姿だったのかと想像してみるだけでワクワクする。
本堂は焼失し江戸期に建て直されている。
寺地に立つのっぽの針葉樹が何本か、雷に打たれ無惨な姿で倒れているのは仏様の身代わりとなってのこと。1000年もの間こうやって森に守られてきたのは、奇跡のような出来事。
それから一路、浄土寺へ。その後私たちのお昼問題は、時間、お腹のすき加減、のどかな風情を天秤にかけ、次のコンビニでお腹を満たす事と相成った。
平たい建物の周りをぐるぐる歩いて夕暮れ前に本堂の中に入る。「うわっ!」と驚きの声。6mの阿弥陀さま。鎌倉時代の仏師快慶による。この大きさを可能にしたのはお堂を造るのと同時に彫刻する木材を立て組み、仏像の基礎部分と建物がつながるように造っているからとの事。プロデューサーは何と、東大寺を勧進したあの重源!
そして夕日を使った照明計画がスペクタクルな光景を作り出す。お堂の中は赤と金に染まり、極楽浄土にふさわしい幻想的な空間に変貌。映像などの無い時代、人々はこの光のショーに目を丸くしたに違いない。